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ドラッカーには、すばらしいコンセプトと、人への愛があふれている。

 荻野功一朗

ドラッカーを

あらためて読み返しています。

日本では、ある種ビジネスのバイブルとして

あがめたてられている

「マネジメント」「イノベーションと企業家精神」を

あらためて読み返しています。

そこには、2つの驚きがありました。

(1)今日、常識となっている

ビジネスのコンセプトや、考え方、ノウハウが

いちはやく定義されていること。

だいたい、コンサルタントのいうことの、

ほとんどはドラッカーの孫引きです。

なぜって、そういうシーンで使われる言葉や概念の

ほとんどが、ドラッガーによって、

提示され、定義されているからです。

たとえば、めぼしいところで

「イノベーション」「マネジメント」

「起業家(企業家)」「マーケティング」などなど。

そう、これらのコトバは、それ以前にもありましたが

ドラッガーが、再定義し、意味を更新しています。

いまの、コンサルは、ほとんど、

その定義の上で、思考していると荻野は思いました。

(2)ドラッカーのコトバには、愛があふれている。

しかし、ドラッカーの素晴らしさは、そうした、定義のウラに、

社会に対する、人々に対する愛があふれているところです。

理想社会、理想企業にむけての、願いや、期待とともに

それらの定義やコトバは提示されています。

もちろん、事実は冷静に、観察され、描かれています。

ただ、残念なことに、こうした

ドッラッカーの「愛のある定義」を

いつのまにかわれわれは、置き去りにしてきたと思います。

利益至上主義、成果至上主義にそまり、

それらのコトバ、定義から

愛が、志が、骨抜きにされてきました。

しかし、いまや、そうした

骨抜きにされてきたコトバで運用されている

企業社会に、企業のふるまいに、

わたしたちは、息苦しさと、不信感を、いだいてきています。

こうした背景の元に、

ビジネスに、ドラッカーの愛(仏教的にいえば慈)を

取りもどすべく、ドラッカーをひもといています。

ドラッカーを、いま、あらてめて読み返して感じることは、

「ドラッカーから、今の企業社会がはじまり

また、その誤読から、ねじまげられてきたのだ。」と

あらためて痛感しています。

 

売上げを上げても、成果があがっても、

社長が、社員が幸福にならない。

 

その原因の、ひとつは

会社経営の、コトバから、ノウハウから、意思から

このように、善意が奪われてきたからだと、

荻野は、感じています。

その善意を、経営コンサルを通じて

とりもどしたいと思っています。

コンサル先には、成長と幸福なビジネスを

お届けしたいと思っています。

成果は、短期的ではなく、長期的に!!

そうでないと、いたちごっこです。

もう、これ以上世の中に、

ノウハウジャンキー、コンサルジャンキーを

ふやしたくありません。

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